Journey World

留学を通じて世界を変える

目の当たりにした海外の危険

 

海外に潜む危険とは? 

留学を考えるほとんどの人が危惧することの一つが、海外は危険なんじゃないか?ではないでしょうか?

自分がカナダに留学していて体感したこと・感じたことをありのまま話そうと思います。

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日本と海外ではまず治安に大きな差があることは確かです。そもそも海外では法的に銃の保有が認められていることや、麻薬関係の規制も緩いことから危険が潜んでいることは確かです。今年10月にはカナダの法律で大麻の販売・所有が規制はありますが、合法化されたことや、昨年にはエピオイド系鎮静剤を多量に飲んで死ぬ若者たちがあとを絶たず、若者の死亡者数は4000人にまで至りました。

当時、自分がカナダに留学していた際、発砲事件麻薬等の実態を目の当たりにしました。

当時自分が目の当たりにした内容はいくつかあります。それらをありのまま綴ろうと思います。

目の当たりにした発砲事件 

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当時自分は高校2年生。日本人の友達とメキシコ人の友達3人でフラフラ金曜日の夜に散歩をしていると、前からノリのいい現地の若者5人組が歩いてきました。

すれ違い様にHey! What's up buddy!と絡んできました。絡まれると言っても悪い意味ではなく、ノリのいい形だったので我々もHey!! What's up!と返し、話をしているうちに仲良くなりました。

 

すると5人グループの中のガタイの一番良かった一人が、これから面白いことをするからお前らもついてこいよ!と誘ってきたのです。我々はそれが悪いこととも知らず、ノリノリでついていったのです。すると事件はあっという間に起きたのです。

時間にして、夜11時過ぎ頃。住宅街に向かって進んでいくとある一軒の家につきました。すると彼らは我々に少し離れた所見てな!とその家の方に向かって消えていきました。

少し離れた丘から様子を見ていると一番ガタイの良かった一人が玄関のドアをいきなり蹴破り、中に続々と入って行ったのです。

自分達はただただ唖然。

呆然とその現場を眺めていました。

数分後、家の中から銃声が聞こえてきて次々と5人の若者たちが物を手に走って出てきたのです。

彼らは我々に向かって

早く逃げろ!と笑いながら叫んできたのです!

自分達は怖くなり、走って逃げました。

後々聞いた話によるとこの事件の内容は何らかの因縁で目をつけられた男が5人組の男に押入られ、抵抗するも銃で撃たれたのち、家の中の金品を持ち去られた。という内容でした。

 

こんな話はよくニュースなどで目にしますが、実際に目の当たりにした自分からすると、とてつもなく怖かったのを覚えています。 

 目の当たりにした喧嘩殺人

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この事件は歳までは覚えていないのですが、冬の出来事でした。

いつもの学校終わり、自分は放課後スクールバスに乗り、別の学校行き(家が別の学校に近かった為)で隣の学校につきました。

バスの到着は学校の裏側になるので、学校に一度入り、表の出入り口から出るのがいつも通りの流れでした。

友達といつも通り話しながら学校の廊下を歩いていると、後ろから猛烈な勢いで走ってくる小柄な男が自分達の横を通り過ぎ、前にいた大柄な男に後ろから急に飛びかかったのです!

そのあとはあっという間の出来事でした...

飛びかかった小柄な男はものすごい勢いで大男に首を掴まれて地面に叩きつけられたのです!頭から落ちた男は悲惨な状態でした。詳細はあまりにもな為控えますが、結果として亡くなってしまったのです。

すぐさま警察が駆けつけ、大柄の男は手錠をかけられ連行されて行きました。

後の話しによると、小柄な男は大柄の男に彼女をそそのかされたという理由で飛びかかったそうです。

日本と比べて喧嘩はよく起きているのが実情です。

日本ではそこまで激しくやりあうことはありませんが、海外では喧嘩が始まると決着がつくまで誰も止めに入らぬよう、周りの野次馬が円を組んで誰も入ってこないようにします。

日常には大麻・麻薬が隣り合わせ

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日本ではあまり考えられませんが、海外では大麻麻薬が日常に蔓延っています。国や地域によっては大麻がコンビニで普通に売られていたり、家庭での栽培が認められているなんて場合もあるのです。

自分がいた町では当時は合法ではなかったですが、今は合法となっています。

しかしながら、当時大麻は蔓延っていました。

当時流行っていたのは紙巻のタバコに見せかけたマリファナパイプによる吸引でした。これらがよく行われていたのは学校裏でこっそりや週末のホームパーティーなどでした。決して強要されることはないですし、自ら進んでやらなければ巻き込まれることはありません。

自分は興味本位で一度ホームパーティーでやったことはありますが、それ以外では特に危ない目などにあったことはありませんでした。

 

海外は確かに危険が隣り合わせなことがあるかもしれません。

しかし、きちんと自我を持って巻き込まれぬよう用心していれば決して巻き込まれることはありません。

 留学する際は、きちんと地域の治安選びと自我を保つことを心がけましょう。

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現地の輪の中

学校生活が慣れてきてから自己主張のお陰で現地の友達が沢山出来ました🏀

 

現地の友達ができることは当初からの目標でもあり、望んでいたことだったので、素直に嬉しかったです。

しかしながら最初はどうだったかと言うと、やはり言葉の壁があるためかなりパニックでしたが、現地の人達はゆっくり喋ってくれたり、翻訳機を使ってくれたりと協力的にサポートしてくれます。

 

相手が心を開く条件として、こちらも心を開かなければ相手ももちろん開いてはくれません。

日本と違い、海外では自分の主張を表立ってしないとOUTです。日本では口数少なくてもそれなりに友達はできますが、海外では主張してなんぼ。

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日本の社会では、周りに習え、変わったことをしていると悪目立ちするという風習がありますが、周りを見渡してみると、自己主張をして、一風変わったことをしている人たちが社会をリードしていますよね?

将来社会的に成功しようと思ったら、周りと同じことをしていてもダメです。

それを自分はカナダで学ぶことが出来ました。

 

最初は慣れない風習からなかなか一歩踏み出すことができませんでしたが、とてもいい経験になったと思います。

 

結果として、現地の輪に飛び込めたことで、語学力も飛躍的に伸ばすことができたのだと思います。

 

留学生の中には、日本人同士でつるんで留学しているのに日本語が日常で飛び交い、そのまま期間を終えて帰国するなんて学生もざらにいます。

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せっかく留学したのであれば、現地の人との交流を積極的にして文化を存分に体感してほしいと思います! 

 

現地の人とつるむことで、行動範囲も広がりますし、スクールライフも充実します。

 

留学する際はどんな環境に身を置くか、どう過ごすかをしっかりと考えましょう!

 

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友達のきっかけは自己主張から

カナダに飛んで、学校にも少し慣れてきた頃、留学生の友達はできてたのですが一向に現地の友達が出来ませんでした😕
授業が一緒の人とはクラス内で少しのコミュニケーションを取る程度で、外で会ったりランチを一緒に食べたりなんて仲には到底なれませんでした。
しかしある時、転機が訪れたのです。
時は冬に近づいてきた頃、学校のHall Way(廊下)にあるチラシが貼り出されていました。
それが、バスケットボール部員の募集要項🏀
 
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海外では人気のある部活はTrialといって日本でいう入部試験があります。
自分のいた学校はたまたま国内でもバスケ部が有名だった為、Trialには約60人ほど受けにきていました。
その中から受かるのは全体で13名。
元々居る上級生の先輩達などもその中に入っている為、実質新規で入れる枠は多くて5名ほどです。
しかし、自分はたまたま日本でずっとバスケをやっていてそれなりに良い線まで大会でも行っていたので、これはチャンスなのではないかと思い、思い切ってTrialに申し込みました!
Trial当日、体育館には沢山のガタイの良いお兄さん達がわんさか😅
自分はTrialメンバーの中ではダントツに小さかったです。。アジア人で小さい小柄な奴がバスケのTrialに参加しているという噂が広まり、何人かが覗きに集まってきてたのを覚えてます😱まぁ、恥ずかしかったですけどね...
そのTrialで自分の得意だったバスケを発揮でき、なんと、13人のレギュラーメンバーに合格出来たのです!
自分の名前が読み上げられた時、会場内のどよめきと沢山の現地人達が自分の元に駆け寄ってくれたのです✨
これが最初のきっかけでした。
自己主張を是が非でもして、それが認められた時。
これを機に自分の学生生活は大きく変わっていきます...
次章では、校内のメインメンバーに加わってからの世界について綴りたいとおもいます!
To be continue...
 

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初めてのHome Party

バスケのレギュラーメンバーに受かってから、多くの人が自分をHall Wayで見かけると話しかけてくれるように!
それ以来、自分の学校生活は大きく変わりました!
バスケ部のレギュラーメンバーになると、まず朝練と午後練があり、時には昼練といってランチタイムに行われることもしばしばありました。
その為チームメンバーはほぼほぼ毎日一緒に過ごしてコミュニケーションを取るのです。
しかし自分はまだまだ会話をスラスラ出来るほどでもない、、、
そんな中週末にメンバーの家で行われるHome Partyに誘われたのです✨
 
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ホームパーティーはメンバーの1人の家で招待制で行われるとのこと。
指定された時間に家に行くと、ものすごい数のウェイウェイ系がわんさか😳
よく映画で見る光景です😐
どんなパーティーだったかはご想像にお任せしますが、かなり刺激的で海外ならではな感じでした😳
このHome Partyで沢山の友達ができて、色々な交流を持てました✨
他校からも来ていたり、学校でよく見かけるイケイケのガールズグループが居たりとメンバーは凄かったです😶
 
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これは当時の写真。
可愛くてキラキラしてたメイングループの1人と2ショット写真を撮った時のやつですね。笑
かなり緊張したのを覚えてます💦本当に金髪で可愛い子でしたからね😅
自分が今になって思うことは、現地の習わしに沿ってそのリズムに飛び込むことは本当に大事だなと思います。
日本とは全く異なった文化、環境で慣れないシチュエーションはいくらでも出てくるとは思いますが、その環境にいかに馴染めるかで得られる経験値は大きく変わってくるのだなと。
海外でよく行われているホームパーティーですが、日本人からするとよく心配や不安と思われがちですが、全くそんなことはありません!
このようなパーティーに参加するかしないかで学生生活は大きく変わってきますよ!
思い切って楽しんで現地の輪に飛び込めばより留学ライフが充実することかと思います。
次は1年目を振り返って留学する前にすべきだったなと感じたことを綴りたいと思います!
To be continue...

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留学最初の壁

日本を飛び立ってたから数ヶ月が経ち、いよいよ登校を迎えました。
まぁ、ドキドキしたのを覚えています🌀
 
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最初の頃、英語の話せない留学生たちはISP (International Student Program) という留学生専用授業をとっていました。
この授業がないと正直厳しかったですね💦
このISPは英語の基礎授業のようなもので、学校生活日常生活を送る上で必要な英語力を養ってくれるコースなのです。
大抵の学生さんはこの授業を1年間程度取ります。
海外の高校は大抵の場合日本と違い、選択制の授業で単位取得がオーソドックスになります。
各授業の単位合否があり、1日に何個の授業を取るのかなどは自由のため、卒業までに必要な単位数を逆算して自分でカリキュラムを組んでいきます
年間を通して、カリキュラムは前期と後期の2期に分かれており、最初の頃は英語もまともに話せないため、取れる授業が限られていました。
その当時とっていたコースはこんな感じ!
 
  Monday  Tuesday Wednesday Thursday Friday
ISP ISP ISP ISP ISP
Art
美術
Math
数学
Physics
体育
Science
科学
Phisics
体育
         
Biology
人体学
 
歴史
   
         
 
初年度の前期はこんな感じのカリキュラムでした!
見てわかる通り、ほとんどの授業は言葉のやり取りせずに済む授業をほとんどとっていました。
でないと落第必須ですからね😵
それと自分で自由にカリキュラムを組めることから火曜、木曜、金曜は午前で学校が終わるようにして、そそくさと家に帰って引きこもっていました・・・w
正直な話、最初の半年くらいは部屋にこもって日本のアニメやドラマをひたすら見ていました...
早速ホームシックというやつにかかっていたわけですね👀
実際に学校生活はどうだったかというと、ISPはとても楽しかったのを覚えています!
中国人・韓国人・メキシコ人・ドイツ人・日本人・パキスタン人の生徒達が一つのクラスでワキワキしていました✨
他の授業では留学生は自分一人で、他全員が現地のカナダ人だったので、なかなか馴染めなかったです。
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最初に自分が当たった壁は、やはり言葉の壁と自分の殻を破り、飛び込んでいけなかったところです。
でもこの壁にぶち当たったことで今思えば良い経験だったと思います!
自分が通用しない世界はいくらでもある。そんな時にはどう対処すべきなのかを身に染みてわかったわけですから。
次の章では、初めて出来た友達について綴っていきます。
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空港からカナダへ...

留学の切符を手にして、周りの友達たちは一足先に高校へと進学。(日本は4月入学だが、カナダは9月入学のため)
9月の入学に向けて自分は塾に通ったり、友達と遊んだりして過ごしていました。
そしてカナダへは、一足先に7月頃に成田空港から飛び立ったのを覚えています。
その時の感情は今でも明確に覚えています。
「この空港から飛び立てば、自分は本当に1人。誰も知らない場所・言葉もまともに通じない場所に向かって行かなければならない。」
そんな感情で親と友達たちが空港に見送りに来てくれた中、出国ゲートを潜りました。
 
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すると、ヤンキーだった自分が親や友達と当面会えない悲しさ不安に負け、泣いたのを覚えています。もちろんバレないように涙を拭いましたけどね。
不安の反面、この先待っている未知の世界に心を踊らせていました
親と友達と決別して飛行機に乗り込んだ時、親や友達からもらった手紙を開き読んで、大号泣。笑
そこに書いてあったことは、絶対に怖気付いて帰ってくるなよ。という内容でした。
カナダまでのフライトの間は色々な感情が混ざってほとんど寝付けませんでしたね。
到着後、自分は個人のエージェントを通していた為、エージェントさんと合流し、現地まで送ってもらいました。
エージェントさんは日本人だったので、気持ち的にホッと安心。
自分はホームステイだったので、空港からそのままホームステイ先へ。
最初のホームステイ先は自分と同い年の男の子と2個上のお姉さんが住む4人家族と猫2匹。
 
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幸いなことにその同い年の男の子は自分と同じでバスケットボールをやっているやつでした🏀よく一緒に家の前でバスケをしていました。
しかし、最初の2ヶ月くらいは正直地獄でしたね...
なんせ言葉が通じない中、自分の知らない家族の住む家で一緒に住んで食事を共にするわけですから。
相手の言っていることもわからない、自分がどうしたいかや感情を伝えることが出来ない。まぁ、、、地獄です。
そんな中9月になり、学校が遂に始まりました。
 
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当時は家から学校までスクールバスで通わなければいけなかったので、スクールバスに乗り込み、現地の公立高校へ。
学校に到着してまず驚いたこと。
それは、
みんなデカイ...
当時自分はまだ150cmくらいしかなく、本当に子供みたいに見られていたと思います笑
それにみんな大人っぽく、日本とは全く違った学校生活が待っていました。
次の章では学校生活1年目についてを綴りたいと思います。
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自己紹介〜ヤンキーが留学を決意〜

初めまして!Jです。
自分は中学卒業後、カナダのほとんど日本人がいない田舎町に3年間留学をしていました。
どのくらい田舎かというと一年の半分は冬で−30℃まで下がり、遊べるところといえばモールが一つ、その隣には映画館がある。。。
そんな田舎町に一人、中学卒業したての自分は成田空港から旅立ちました✈
なぜ、そもそも留学することになったのか?
まずは、ここから現在に至るまでを何章にか渡って綴っていきたいと思います!
 自分は中学校の頃、いわゆるヤンキーでした。
喧嘩ばっかりやってる割には、塾にも週5通っているというかなり変わったヤンキー🌀
当時は、正直親もかなり心配だったと思います。
警察にお世話になることもしばしばあり、どうしようもなかった反抗期:(
こちらは入学したての頃の写真です↓↓↓
 
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この真ん中です。今になって見ると本当に恥ずかしいですね・・・w
当時ヤンキーだった自分がなぜ留学することになったのか?それは当時、何か問題を起こすと必ず親が助けてくれていました。
なので心のどこかで、ある程度何かやらかしても親がなんとかしてくれるだろう。
そんなことを思っていました。いつものように喧嘩した帰り道にふと、思ったんです。
「自分はこのままいったらどんな大人になるんだろう・・・」
周りは受験に向けて必死に勉強している友達や健全に遊び、楽しんでいる友達。自分は?
怖くなったんですね。正直。
自分を変えるにはどうしたら良いのだろうか?
答えは自分の中で明白でした。
心の中で甘えになっている親の元から離れて、自分で自分のことをできる環境に行きたい。
自分の全く知らない場所で自分が通用しないところに。
その結果、自分が導き出した答えが「留学」でした。それも、あえて日本人の少ない田舎に。
その日から、親に頼み込みました。何度も何度も

親の答えは、こうでした。

「もし本当に行きたいなら、英語を少し学んでみなさい。」
親から渡されたパンフレットは新宿にあるガチガチの塾?でした。
新宿は当時の家から電車で40分。行ってみれば本来は子供は入塾できない大人向けの塾だったのです。
周りはサラリーマンやおじさんおばさんばっかり。
そもそも未成年は自分しかいませんでした。
 
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塾の時間は、スタートが18時くらいだったかな?とにかく終わりの時間が毎回終電ギリギリだったのを覚えています!色々と怖かった...
まだ当時中学2年生だった子供が新宿まで週3日通っていたのです。
後々聞いた親の魂胆はこうでした。
もし留学したいという意思が本気なのであれば辞めずに通うだろう。すぐにサボったりやめるようであればそこまでだ。」と。
自分はそこの塾に1年間1度も休むことなく、通いました。
それをみた親が、信じてくれたのか、中学3年生の冬に差し掛かった頃、留学についての許可を出してくれたのです。
それから、数日後に自ら行きたい場所をリサーチしまくり、たどり着いたのがカナダの田舎町でした。
留学が決まってからは、様々な準備や勉強で遊ぶことが一切できず。。。
でも、自分が希望して、日本から飛び出していけるという事実に不安喜びが乱れ混じっていました。
そんな流れで自分は留学という険しい切符をゲットし、当時の夢を叶えることができました。
この続きは、また別章でお話しします!次の章ではいよいよ空港から日本を離れていくところからをお話ししたいと思います。
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