Journey World

留学を通じて世界を変える

自己紹介〜ヤンキーが留学を決意〜

初めまして!Jです。
自分は中学卒業後、カナダのほとんど日本人がいない田舎町に3年間留学をしていました。
どのくらい田舎かというと一年の半分は冬で−30℃まで下がり、遊べるところといえばモールが一つ、その隣には映画館がある。。。
そんな田舎町に一人、中学卒業したての自分は成田空港から旅立ちました✈
なぜ、そもそも留学することになったのか?
まずは、ここから現在に至るまでを何章にか渡って綴っていきたいと思います!
 自分は中学校の頃、いわゆるヤンキーでした。
喧嘩ばっかりやってる割には、塾にも週5通っているというかなり変わったヤンキー🌀
当時は、正直親もかなり心配だったと思います。
警察にお世話になることもしばしばあり、どうしようもなかった反抗期:(
こちらは入学したての頃の写真です↓↓↓
 
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この真ん中です。今になって見ると本当に恥ずかしいですね・・・w
当時ヤンキーだった自分がなぜ留学することになったのか?それは当時、何か問題を起こすと必ず親が助けてくれていました。
なので心のどこかで、ある程度何かやらかしても親がなんとかしてくれるだろう。
そんなことを思っていました。いつものように喧嘩した帰り道にふと、思ったんです。
「自分はこのままいったらどんな大人になるんだろう・・・」
周りは受験に向けて必死に勉強している友達や健全に遊び、楽しんでいる友達。自分は?
怖くなったんですね。正直。
自分を変えるにはどうしたら良いのだろうか?
答えは自分の中で明白でした。
心の中で甘えになっている親の元から離れて、自分で自分のことをできる環境に行きたい。
自分の全く知らない場所で自分が通用しないところに。
その結果、自分が導き出した答えが「留学」でした。それも、あえて日本人の少ない田舎に。
その日から、親に頼み込みました。何度も何度も

親の答えは、こうでした。

「もし本当に行きたいなら、英語を少し学んでみなさい。」
親から渡されたパンフレットは新宿にあるガチガチの塾?でした。
新宿は当時の家から電車で40分。行ってみれば本来は子供は入塾できない大人向けの塾だったのです。
周りはサラリーマンやおじさんおばさんばっかり。
そもそも未成年は自分しかいませんでした。
 
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塾の時間は、スタートが18時くらいだったかな?とにかく終わりの時間が毎回終電ギリギリだったのを覚えています!色々と怖かった...
まだ当時中学2年生だった子供が新宿まで週3日通っていたのです。
後々聞いた親の魂胆はこうでした。
もし留学したいという意思が本気なのであれば辞めずに通うだろう。すぐにサボったりやめるようであればそこまでだ。」と。
自分はそこの塾に1年間1度も休むことなく、通いました。
それをみた親が、信じてくれたのか、中学3年生の冬に差し掛かった頃、留学についての許可を出してくれたのです。
それから、数日後に自ら行きたい場所をリサーチしまくり、たどり着いたのがカナダの田舎町でした。
留学が決まってからは、様々な準備や勉強で遊ぶことが一切できず。。。
でも、自分が希望して、日本から飛び出していけるという事実に不安喜びが乱れ混じっていました。
そんな流れで自分は留学という険しい切符をゲットし、当時の夢を叶えることができました。
この続きは、また別章でお話しします!次の章ではいよいよ空港から日本を離れていくところからをお話ししたいと思います。
To be continue...